12歳の子供に人生の決断を迫る!<Emileのコラム55>

 沖永良部島で元気をもらって帰ってきました。今回は沖縄経由で島へ、沖縄では、おいらの小さな魚船の面倒を見て頂いている南西船舶のNさんに、アダンの新芽が食べられることを教えて頂き、オオタニワタリにも初挑戦。特に、アダンの少し苦味が残る深いコクには驚かされた。少なくとも、飢餓を回避する非常食と言う類のものではないようで、掘りたてのやわらかい筍と微かに上品なオリーブオイルが混じったような不思議な味だった。ただ、アダンの新芽をどうやって見つけ出し、調理するのかは、残念ながらよくわからず。島で、何人かに聞いてみたもののなかなか要領を得ず、そのうち、お爺・お婆に聞いて回ることにしようと思っている。
 島に着いて、4日目、タヒチ島から42日間をかけて帆走して来た51フィートの素敵なヨットが到着した。フランス人御夫妻で世界を旅しているとのこと、風を待つために停泊している4日間、毎日我が庵「酔庵」に遊びにいらっしゃり、面白い話をたくさん聞かせてもらった。その中でも、驚かされた話を一つ。フランスを出発してもう10年になるそうだが、国を出発するとき、12歳の子供に一緒に来るか、国に残るかの判断を迫ったと言う。結局、息子さんは、e-learningによる教育を船で受けながら同行し、今はフランスへ戻り大学生活を謳歌しているとのこと。無論、このご夫妻が平均的な欧米人の思考では無いにせよ、見事な子離れではある。子供のためにせめて母は国に残り・・・などは一切考えたこともないと言う。子供の大学受験にまで同行し、悲壮な形相で世話を焼く日本の一般的な母親像とは程遠い。東京から酔庵に魚釣りに来ていたK.Yさんも、横でしきりに頷いていたのは、子離れして旦那にしっかり目を向けて欲しいと言う思いだったのか・・・(笑)
 おいらは、どちらかと言えば、欧米的思考回路に些かの抵抗のあるほうであるが、この潔さと言うか、個の主体を重んじる行動には溜飲の下がる思いもした。個の主体を重んじると言うことは決して我侭を認めることではない。それは個としての責任が発生すると言うことでもある。これを履き違えて、傍若無人の人たちのなんと多いことか。この2つの違いはどこにあるのか、それは紛れも無く、個が公共の善の上に成立していると言う認識を持っているかどうかによるものだろう。社会の一員としての責任が何であるのかと言う認識があるかどうかと言うことであろうと思う。
 そんなことを考えながら、あらためて島の人たちのことを考えてみた。子供たちにとって、お爺やお婆は最高の物知りであり、両親はいつも額に汗して働き、それでも家の中には笑い声が響き、何か事あれば、「字」のコミュニティーにスイッチが入り利害無しのアクションが始まる・・ 表現こそ違え、この国にも、見習うべき豊かな社会がしっかり残っているのである、おいらももっと教えてもらわなければならないことが、山ほどあるのだと、あらためて思い返した。

2010年5月12日

このページの最終更新日:2010年05月12日

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