私は4年前出家した行者にございます
涌井史郎先生とは3年前に経団連主催の生物多様性に関するシンポジウムで澁澤寿一さんと一緒に対談させ頂いて以来、沢山の刺激を頂いている。いつも物事の後ろにある真実を、的確な言葉に出来る稀な方である。そんな才が微塵でも欲しいとはいつも思っているのだが・・昨日、その涌井先生にとても爽やかな話を伺った。彼曰く、我々は行者(ぎょうじゃ)だと言うのである。ふっと喉のつかえが取れたような爽やかさを味わわせて頂いた。もうすぐ大学へ来て5年になる。未だに何故大学へ・・・いろいろな方にお会いするたびに聞かれる質問である。その度に、地球環境を憂い、人を育てることの重大さに目覚め・・・・無論真実なのだが、何か一言でもっと本意が伝えられないかと思っていた。「私は4年前出家した行者にございます」、なんと簡明で爽やかな言い回しか。これからはこれで行こうと思う(笑)。
ロハスデザイン大賞2009のヒト部門の最終選考に残っている。投票締め切りは31日だから、このコラムに書いても集票にはならないだろう。私を評価してくださった方々に感謝!である。
さて、2020年の温室効果ガス排出削減率をどうするか、有識者会議が開かれた。経団連の主張する1990年比+4%は論外としても、麻生首相がこの辺りでとおっしゃる−7%も国民のアンケート結果で支持されたものだからと、根拠はきわめて薄い。2050年までに世界でー50%を宣言したわが国がどのようなロードマップでそれを達成するのか、そのために2020年にどうしたいのか、などという論点はない。どうしてこの国は長期戦略が立てられないのか、考えてみた。
きっとそれは、われわれに稲作漁労民の血が依然色濃く流れているからなのだろう。稲作農民に長期戦略は不要である、すべてはお天道様次第、今日は雨が降っているから草抜きをしようか・・・その場その場で判断をしなければならないのである。それに比べて、欧米人に代表される畑作遊牧民は、搾取の民である。群れの移動を予測し、先に先に回って獲物を待つ。しっかりしたロジックと予測力が必要なのである。
この差か・・・とは思うものの、もう少ししっかりしてもらわねば、未だに100年に一度の経済危機などと嘯き、次世代に重い借金を背負わせるときではない、このチャンスにこそ「ものつくりの価値」「お金の価値」「人の価値」を徹底的に見直さなくてはとは思えないのか。価値の転換こそが、これから求められる新しい社会システムに必要なのだとは思えないのだろうか。テレビや映画では、悪徳代官は越後屋とともにいつも裁かれるものだが、誰が裁くのか、それもお天道様なのだろうか・・・
09.05.29 Emile H. Ishida
このページの最終更新日:2009年06月01日

