地球にだけ存在する命の連鎖 <Emileのコラム58>
先月、「コルテオ」仙台最終公演に出かけた。相変わらず素晴らしいのだが、昨年ほどの感動が湧かないのは何故か? これが生活価値の不可逆性(人間は一度得た快適性や利便性を容易に捨てられない、捨てようと思うと苦痛が伴う)、に起因し、昨年の感動以上のものを求めている結果であれば、これは由々しき問題・・・・加齢とともに感受性が高くなっているとはとても思えないし・・・・
6月12-13日ものづくり生命文明機構の第2回研究会「森里海連関とネイチャーテックによる持続可能な社会を考える」が大分市の日本文理大学で開催されたことは、先のコラムでもお伝えした。当日は、800人を越える方々にお集まり頂き、随分勉強させていただいた。廣瀬知事もお忙しい中、最前列の席で長時間に亘り、たくさんのメモを取られていたようだ。研究会では、日本国際文化研究センターの安田喜憲先生、森は海の恋人で著名な畠山さん、森里海の連関を始めて学問的な視点で評価された京都大学名誉教授の田中先生らが地球にだけ存在する命の連鎖をとても熱く語られた。私は、日本文理大学の小幡先生とともに、テクノロジーもこの命の連鎖の中になければならないことをお話したのだが、若い方にはどれほど伝わったのだろうか・・・・。産業革命以降の地下資源型テクノロジーが世界を席巻するまでは、あらゆるテクノロジーは自然の循環の恵みをいかにうまく活用するかということであった。命の連鎖のひとつの仕組みの中にあったのである。しかし、地球には本来存在しない地下資源型テクノロジーはその連鎖とはかかわりのないものというより、その連鎖を切断する道具となって世界を席巻し、地球環境を劣化させることとなってしまった。地下資源型テクノロジーをすべて否定するつもりはないが、完璧な循環をもっとも小さなエネルギーで駆動する自然を今一度科学の眼で観、テクノロジーとしてデザインする、新しいテクノロジーのかたち(ネイチャーテクノロジー)をもう一度考えてみることはとても重要なことだと思う。
そして、本来「人間らしく生きるためには豊かさが必要である」はずで、それに必要なテクノロジーやシステムを考えねばならないはずであるのに、「豊かでなければ人間らしく生きられない」とする人間優位から生産優位の概念をつくり上げてしまったのである。そして、これが分断・対立・競争の原理を生み、これを基盤として社会構造やシステムが出来上がってしまったのではなかろうか。人間らしく生きるための原理は、連帯・参画・共同を原点とする、すなわち、繋がりの原理なのである。命の繋がりを煽るテクノロジーが生まれなければならない時代に我々がいることを、そして、あらゆるものが繋がりを持つことの重さを、それこそが地球環境の劣化を停止させることができることを今一度考えなければならないと思う。
2010年7月24日
このページの最終更新日:2010年07月27日

