「あなたの舌と鼻はまだ大丈夫?」<Emileのコラム48>

冷蔵庫を開ける、ボールの水に少し顔を出している豆腐を水切りしクンクンと匂いを嗅ぐ、牛乳瓶の紙のふたをそっと持ち上げ、これもクンクン・・・ん?と思ったら、ちょっとだけ口に含み・・・・豚ばら肉の表面を軽く人差し指でなぞり、その指を親指とこすり合わせ、粘り気を感じる・・・・朝配達してくれる氷で冷やす冷蔵庫では、まだ信頼性が低く、賞味期限などという表示も無い頃、当たり前のように母から教えてもらった生活の知恵である。車の排気管の出口に手のひらを数秒当てて、手のひらに移った匂いと排気ガスの色でエンジンの調子を・・・・これは父から教えてもらった。簡単だけれど緩まない紐の結び方、包丁やはさみ、ノミや鉋の研ぎ方・・・・たくさんのことを両親から教わった。田舎に住んでいたら、もっとたくさんの生きる知恵を爺ちゃんや婆ちゃんに教えてもらうことができたはず、そう思うと、今はかなわないことが残念で仕方が無い。
花王の機能性食用油「エコナ」に体内で発がん性物質(グリシドール)に変わる恐れのある成分(グリシドール脂肪酸エステル)の含まれていることが明らかになり、発売停止になってからもうすぐ3ヶ月が経つ。マスコミは大騒ぎをし、家族が癌になったのは「エコナ」のせい、エコナは殺人食用油、などという強烈な投書も多かったと聞く。エコナが本当に健康被害を起こす可能性があるのか、それは企業として改めて論理的な説明が求められるとしても、このような話を聞くたびに、安全や安心に対する企業と生活者の責任のあり方を考えさせられる。
無論企業が市場に投入する商材は、生命や健康に関わる安全性を担保しなければならないはずであるが、分析化学が進むほど検出できてしまう超微量の成分をどう考えるのか。今では50メートルプールに溶け込んだ耳かき一杯ほどの成分を検出することなど朝飯前なのだ。微量だと薬、量が増えると毒になるものなど山ほどある。企業がどこまで安全を担保し、生活者が自分でどこまで安心を担保するのか、安全に完璧が存在しないかぎり、改めてそれが問われているのである。車も同様である。戦闘機に使われるミリ波レーダー、前方が全く霧で見えない夜でも普通に走れることが車に本当に求められているのか。際限の無い安全のために車は重くなり、どんなに効率の良いエンジンを積んでも燃費は向上せず、それなのに更なる安全を目指すのか? その結果、生活者は安心できているのか? メディアの道徳は壊滅し、尊敬されなくなった企業、官僚、先生、新聞記者・・・・それはまさに按配を忘れた結果である。生活者は、自分の目と鼻と舌でものの良し悪しを判断し、企業は自己の責任とプライドで商材を市場に問う気概を今こそ呼び覚まさなければならないのではないか? 確かに西洋は自己主張の世界、でも我々日本人にはそのルールは空回りするだけのように見える、そんなものを持ってきて叩き合うより、我々の本質である間合いとすり合わせの文化の中で企業の気概と個人の責任をぶつけ合い、お互いの責任で按配を見つけるほうが我々には合っているように思う。
ちょっとした利便性の欠落や不完全さにこそ充実感や達成感は満足させられるのである、そんなことを堂々と主張する企業が出てきても良い時代ではないかと思ってしまう。 
2009年12月4日 Emile H. Ishida

このページの最終更新日:2009年12月07日

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