「遊べや遊べ、もっと遊べ!」<Emileのコラム46>

10月1、2日東京でバイオミメティック国際シンポジウムが開かれた。生物のすばらしい機能を見つけ出し、それを活かそうというシンポジウムである。著名な多くの研究者が参集しているとのこと、門外漢で良くはわからないが、その末席を暖めさせて頂いた。でも面白い、活かすという話は少なく、どのような役に立つのかはわからないけれど、自然のメカニズムの謎を教えて頂くのは文句なしに面白い。トカゲの話は知っていたが、鮒虫も毛細管現象を使って足から水を吸っているとは・・・・少しづつでも、すごい自然のショールーム(http://www.nature-sugoi.net/)で紹介させて頂こう。
11月2日夜NHKラジオ第1で放送される「世の中面白研究所」の小堺一機さんとの対談も楽しかった!
10月27日「環境学者と仏教学者の対話」という講演会にお誘い頂いた。仏教学者の伊藤先生、浅草寺の御住職の話はともに難解だったものの、とても興味深いものだった。少なくとも自然をどのように捉えるかという点では大変良い勉強をさせていただいた。無論、人間も自然の一部であり特別なものではないことが原理なのだが、そこに江戸の粋の概念を被せる事にも支持を頂いた。特に日本仏教の原点である大乗仏教では煩悩を捨てる必要が無い(と僕は理解したのですが)とのお話は、物欲から精神欲を煽るテクノロジーである、ネイチャーテクノロジーを考える上では強い味方を得た気持ちがする。
このコラムでは何度か江戸の粋の話を書いているが、もう一度その原点を考えてみると、それは、「遊び」に尽きるのではないかと思う。
イギリスでの産業革命とそれよりも100年以上早く起こった日本の産業革命の違いにも触れたが、その価値観は如何なものだったのだろう。イギリスでは、産業革命により大量にものが生産できるようになり、また広範囲に物を運ぶことができ、同時に人の移動をも可能にし、社会構造は大きく変化した。では、日本はどうだったのか。多くの精緻・精密なテクノロジーが生まれはしたが、その多くはエンターテインメント、あるいは、遊びの域を決して出なかった。では、イギリスの産業革命は革新的で、日本のそれは遅れていたのだろうか。無論それは大きな間違いだと思う。テクノロジーを使って長距離を移動することも、大量に食糧を生産することにも、きっと江戸の人たちは、興味を持たなかったのだと思う。もちろん、生きてゆくという上では日本が豊かであったことは前提ではあるが、生活が維持できれば、それ以上の金を求めず、いかに楽しく遊ぶかを最優先に考えていたようだ。そしてその中で、テクノロジーは文化的な遊びの中に生まれた無意識の技、人に喜ばれる技に価値が認めら、自然に鍛えられた精神文化が、生きることを楽しむために、物欲ではなく、精神欲を煽るかたちで醸成されたのだろう。
織物、塗り物、細工・・・あらゆるテクノロジーが芸術の粋まで高められ、その手工業的な技が現在の日本の技術の根底となる基盤を創り上げたと言っても過言では無い様に思う。それほどまでに、江戸の社会は成熟し、その中でテクノロジーは醸成されたのだ。遊びが社会の本流となり、大量生産では無く、高度な文化創りに貢献したのではなかろうか。「からくり」だけではない、平賀源内のエレキテルもみな遊び、関孝和に代表される、世界的に見ても高度な数学を扱う和算。数学の問題を出しあい、それを解くことで切磋琢磨し、これで金銭的な糧を得るなど考えても見なかった、これも遊び、その発表の場は神社仏閣、絵馬と同じように掲げることで、成果を競う。無論、この成果が複雑な計算を必要とする測量などに結果として活かされたこともまぎれも無い事実である。福沢諭吉の「福翁自伝」に、適塾の初生のことが書いてある。曰く「目的無しに苦学する、それが仕合せ」なのだという。これも遊び、日本の遊びは極めて高度なのである。
遊びを極める、これが新しい暮らし方のかたちになるのかもしれない、と思ってきた。

200910..28 Emile H. Ishida

このページの最終更新日:2009年10月30日

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