「個の善と公共の善を考える」<Emileのコラム49>
12月中旬、中国海南島三亞に出かけた、初めての場所である。出かける朝になって、初めて地図で場所を確認、あわてて夏服をスーツケースに押し込んでの旅となった。中国のハワイと言われているらしいことも、到着してから聞かされた。町は活気にあふれ、カメラを持った観光客で賑わい、別荘としてのリゾート開発もあちこちで進んでいる。まさに地球環境問題とは無縁とも思われる風景である。
そんな中での、水と材料に関する国際会議である。多くの中国の研究者から、中国での環境研究が水処理に偏りすぎ、大局的な視点が欠落していることを聞かされ、基調講演者の一人でUniversal Waterの著者でもあるウェスト・マリン氏とは、環境倫理再構築の重要性や視点の再整理について随分と深い議論をさせて頂いた。そして数日前、COP15が多くのことを積み残して閉会した。一体何がこのCOP15で決まったのか・・・・とても残念であると同時に、個の善と公共の善について改めて考えさせられた。
人々が個の利益を追求することが、市場を通じて全体の利益につながるという資本主義の源流でもあるアダムスミスの思想が世界を混乱に導いたとする資本主義批判の声は益々大きく聞こえて来る。批判はともかくとして、では、この市場原理主義的な発想はどうすれば制御可能なのだろうか。徹底した規制を行えば、この混乱を回避することが出来るのだろうか。こんな報告がある、「不正に社会保障給付を受け取ることへの罪悪感が小さい社会では、失業保険が充実せず、労働市場の規制を強めざるを得ない」(大阪大学、大竹文雄)のだそうだ。要するに、アダムスミスの言う概念は、道徳哲学を基盤としており、実は人々の公共心が前提としてあってこそ、市場原理主義が成立するのである。
この公共の善が欠落し、皆が自己の権利ばかりを主張すれば、派遣村は人で溢れ、生活保護の申請がうなぎのぼりで増え続けるのである。
地球環境問題も同様である。現在の地球環境問題の引き金は、世界の人口の2割に相当する先進国が起こし、残り8割を巻き込んだことは事実である。しかし、途上国といわれる、この8割の人口を抱える国々が過度の競争を起こし、先進国からバトンを引き継いだかのように、地球環境の劣化をさらに加速しようとしていることも事実である。そして、COP15でも頻繁に口にされた、「途上国の権利としての発展」がどのような形で進められるかが今問われていることもまぎれも無い事実なのである。少なくとも先進国の轍を踏まない発展が望まれていることは、唯一先進国が反省の意味をこめて途上国へ伝えられる重要なメッセージなのである。
多くの環境制約の中で、われわれがこれから、現在の文明を維持できるかどうかという究極の選択さえ議論しなければならない状況であることは、多くの指導者たちに異論のあるところではないと思う。そして、環境に国境は無く、大気は世界につながり、海は世界と結び合い、地下資源は地球が搾り出したエキスであることも、同じく異論のあるところではないだろう。そうであれば、あらためて、公共の善を基盤とした上で個の善を主張することが今世界のリーダーに求められていることも明白なのではないのだろうか。2010年が、広い視点で我々が背負うべき課題を明確にし、それに対して確実に歩を進められる新しい年になって欲しいと思う。
人材養成ユニットSEMSaTも、いよいよ5年間のプロジェクトの最終年を迎える。この5年をもう一度振り返ることもしておかなければと考えている。
明日から、しばらく沖永良部島で過ごす予定にしている。島の人たちから、生活の中の公共の善を、少しでも学んで来られればと思っている。
2009年12月23日 Emile H. Ishida
このページの最終更新日:2010年01月06日

