「うまいものとうまい暮らし」          <Emileのコラム50>

短い沖永良部での島暮らしを楽しんで来ました。最近は、島を離れるのが妙に寂しく、不思議な心持です。なかなか自然児になれない我々は、おまけに短期間の滞在では、大根一本作れるわけでもなく、魚を釣りに行っても、上手くいって、せいぜいカワハギなどの小魚ばかり。白鯛や赤ホタ何ぞ釣れれば、漁師にでもなれるのではないかと錯覚して舞い上がってしまいます。そうやって私が騒いでいると、30cmは優に超すエビが5-6匹、ひとつ1kgはあろうかと思う夜光貝も5−6個、おまけにシビまで一緒に入った籠がご近所さんから届くのです。蛸なぞ、干潮時のリーフにはいくらでもいるらしい・・・ところが、ホラここに、と言われてもどこに居るのか見分けがつかず、結局、蛸取りに連れて行ってもらっても頂いて帰るだけ・・・朝起きれば、玄関にどっさりと花や野菜が積んであり・・・相変わらず島暮らしは人に助けて頂きながら、そのうちいつかお返しが出来るようになるのだろうか・・・一度、一杯飲みながらその話をしたら、島人たちに大笑いされて終わってしまった。これは見込みのないということか・・・
島暮らしを始めたころは、何か頂いたらその都度お返しを・・・などと考えていたが、我が家の場合は、ほとんど毎日ご近所の御慈悲で暮らしているようなもの、おまけに、ご近所に勝手に食べに行ったりするわけであるから、(おまけにたっぷりとお酒まで頂いてしまう)これでは落語に出てくる江戸の長屋の八っつあんと同じなのである。
生も死も自然の当たり前の循環のひとつの通過点と考えていた江戸の人々の生への執着は今と比べるとはるかに薄く、死も淡々と受け入れていたという。そんな暮らしの中では、頼らず、媚びず、驕らずを旨とし、色々な柵をそぎ落としながら、生きることを楽しんでいたのだろう。島に居るとそんな自然体で生きている人たちが当たり前であり、その生き様そのものが公共の善なのだと改めて気づかせてくれる。生の達人たちのそんな生き様を何とか記録にもとどめておきたいと思う。
20日には、恒例のSEMSaTセミナーを東京、求道会館で開催した。今回は「お金から考える地球環境」元日銀マンで、今はお金の本来の役目を活かし、地域を豊かにする活動をお続けの吉澤さん(場所文化フォーラム代表)をお招きした。地球環境を土台に始めて正面からお金の話をお聞きし、目から鱗の2時間であった。シルビオ・ゼゲルは自由貨幣を商品交換の迅速性、確実性、低廉性を担保するものであり、お金そのものが商品と同様に腐敗し、損傷し、錆、消滅するものであり、貨幣の所有によって利益を生み出すものではないと定義した。吉澤さんは、今この時代に、まさに、この自由貨幣の考えを銀行を巻き込みながら実践し、持続可能な地域社会創生に大きな一石を投じていることを目の当たりに出来た事は何事にも変えられない貴重なお話だったと思う。話は尽きず、その後は場所をその実践場である「とかちの」に移し、十勝の旨いものを楽しみながら大いに勉強させて頂いた。「とかちの」は、有楽町国際ビルの地下1F、3月には「とうきょうの」も開店予定、ぜひ、お運びを!
2010年1月22日 Emile H. Ishida

このページの最終更新日:2010年01月27日