エコ・ジレンマを読み解く<Emileのコラム57>

 6月上旬、駆け足でロンドンへ、ロイヤル・アカデミーでネイチャー・テクノロジーの話をさせて頂いた。その折、英文の本を書いていることを迂闊にも(?)話してしまい、日本に戻ってからも、多くの方から共感のメールを頂き、早く仕上げろとお尻を叩かれている。大学へ移ってからすぐだからもう5年ほど前になるが、地球環境を考えるならテクノロジーが倫理観を持たねばならないことをヨーロッパでの会議で話したときは、テクノロジーにそもそも倫理観を期待するなぞとは・・・とコテンパンだったことを思えば、様変わりである。6月12-13日ものづくり生命文明機構の第2回研究会「森里海連関とネイチャーテックによる持続可能な社会を考える」が大分市の日本文理大学で開催された。800人を越える方々にお集まり頂き、地球にだけ存在する命の連鎖を今そして次の世代にどのように繋いでゆくのか、随分勉強させていただいた。7月6日には、東京求道会館に詩人・作家の丹治富美子先生をお迎えして、SEMSaTセミナー「いにしえに学ぶ」を予定している、8月4日は沖永良部シンポジウム、そして、10月から上野科学博物館で始まる「ネイチャーテクノロジーと新しいライフスタイルのかたち(仮題)」は現在、金策中なれど(笑)、何とか成功させたいと思っている。
 さて、「喫緊の地球環境問題」とは誰もが言うものの、なかなか現実は理想どおりに行くどころか、残念ながら、環境劣化は加速すらしている。少なくとも日本では、先進国の中でも群を抜き、生活者の地球環境問題への意識は高い。約90%の生活者か環境問題を強く意識している。一方、企業の努力も大変なものである。冷蔵庫はこの15年で8割も効率を上げ、エアコンは4割、車もほとんどすべてがエコカーとなり、今あらゆるものがエコ商材として市場に投入されている。では、環境負荷は下がったか? 残念ながら生活部門の環境負荷は何とか頭打ち傾向にはあるものの理想とは大きく乖離している。あらゆるものがエコになり、生活者の意識もエコなのに劣化はちっとも収まっていないのである。これを「エコ・ジレンマ」と呼ぶことにした。どうしてこのようなことが起こるのか、この2年間いろいろな調査も進めてきてわかったことは、どうやら、エコ商材が消費の免罪符となっているらしいことである。エアコンの効率が1/2になれば、もう一台、テレビがエコになれば大画面を、車の燃費が良くなれば少し遠乗り・・・・国が認めているエコポイントなのだから、今のうちに買っておこう・・・週末はどこまで走っても1000円なら・・・・人の心はそれほど強くはない、目の前に免罪符がぶら下がっていればパクリと食い付くのである。
 無論、エコ商材を考えることは企業にとっての大きな責任ではある、ただ、このエコジレンマを考える限り、企業には新たな責任が見えてくる、それは、エコ・テクノロジーが(そして企業が)ライフスタイルに責任を持つ時代がやってきているということなのである。エコ商材を通して、どのようなライフスタイルを提供しようとしているのか、それを明らかにしなければならない時代が来ているのだと思う。

2010年7月1日

このページの最終更新日:2010年07月07日

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