破無礼

1993年に旗揚げした「シェークスピア・カンパニー」の破無礼(はむれ)を観た。確かイギリスに同名の劇団があったと思うが、こちらは奥州幕末を設定したハムレット、すべて東北弁でどんな展開になるかと興味津々、破無礼のせりふが余りにも多く、いささか中だるみの感はあったが、これも「ハムレット」(Shakespeare)と同じ難しさか・・・ともあれ、結果としては大いに楽しませて頂いた。芝居が終わってからも、妙に懐かしく、理由もなく心が躍るのを感じた。

観客は200人くらい、舞台と観客席が同じ目線の高さで、終演後はみなそれぞれに自分の納得する額の寄付を財布から・・・・失礼な言い方を承知の上で書かせて頂くなら、昔の旅回り芝居の求めるところを今のあたらしい文化切り口で見直したようなものであるからかもしれない。昔はよかった風な過去賛美の延長では明らかにないが、かと言って似非先端的(?)前衛芸術を求めたものではない。稲作漁労民(安田喜憲先生 国際文化研究センター)の本質をくすぐる何かがそこにあるように感じた。

稲作漁労民は物つくりの本質を求め、これの対辺にあるアングロサクソンに代表される牧畜遊牧民は搾取を本質とするそうである。どこで読んだか忘れたが、これは今のIT社会にも反映されているという。IT世界に必要なハード部品はほとんどが日本の技術、それをネットワークで結び、世界を席巻する規模に創り上げたのは欧米人、まさにその通りである。色々な国際規格でも日本はイニシティアブをとれず、歯痒い思いをしているがこれもまさに国民性を反映している結果かもしれない。

環境に関しては、RoHs(有害物質使用制限), REACH(新化学品規制), EuP(エコデザイン指令)とヨーロッパ主導のあたらしい規制や指令がこの数年、目白押しである。出来るか出来ないかではなく、予防原則からやらねばならないという観点で創られたこれらの制限の対象となるのは主には日本の技術であることも事実、国民性は肯定しても、そろそろ日本がイニシティアブをとっても良いのではと思う。
(2006年06月19日)

このページの最終更新日:2006年06月20日

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