サツマイモの進化と文化

先日、川越のサツマイモ資料館の館長とお会いした。これまでサツマイモの歴史や保存方法、栽培の特徴など知らなかったので、聞くことが全て新鮮であった。私は東京出身のためか、サツマイモと言えば、やはり「焼き芋」を連想する。私が幼かったころ、石焼芋の車がゆっくり家の近くを通り、どこかで止まると誰か買ったのかなと家の窓から好奇心でのぞいていたものだ。

少し、サツマイモの歴史を紹介しよう。サツマイモは、紀元前3000年ごろからメキシコからペルーにかけての中南米で食べられていた。コロンブスのアメリカ大陸発見以降、急速に世界に広まった。日本には、1605年に琉球王国へ伝わったのが最初である。サツマイモが日本に伝わった当時は、飢饉の備えであり、サツマイモの普及により地域的な人口増加があったと言われている。しかし、巨大都市周辺の一部の地域では、サツマイモを「おやつ」として売る人が現れた。それが、京都、大阪、江戸であった。京都、大阪では蒸しいも、江戸では焼き芋が流行したのである。川越はサツマイモの収穫量を2,3倍にする技術や突然変異から生み出された紅赤を誕生させた。江戸からの立地も良く、江戸のおやつとしての焼き芋のサツマイモを供給した。

サツマイモを収穫してから1年間保存するためには、温度13℃、湿度90%以上で保存しなければならないそうで、昔は保存に井戸を利用したそうだ。このように、そのままの状態での長期保存が困難なため、干して、粉にして保存し、芋団子として食べる食文化も日本に残っている。

最も興味深いのは、サツマイモが「飢饉の備え」から「おやつ」へと進化した点である。将来、環境制約が厳しくなり、食糧危機が到来した場合にも、食糧難を克服するために「おやつ」としてのサツマイモが新たな進化を遂げる可能性があるだろう。ここまで科学技術が進展した世の中においても、その時そこに住む日本人の文化の影響を強く受けるに違いない。

平成19年6月26日
古川 柳蔵

このページの最終更新日:2007年06月27日

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